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CONTAINERS – gallery 176(2020)

 現代のコンテナによる物流は1950年代にアメリカで生まれた。58個のコンテナからスタートし、規格の標準化、ベトナム戦争での特需などを経て、2018年には2億TEU(TEUはコンテナを数えるための単位。1TEU=20フィートコンテナ1個分)を超えた。コンテナが運用される以前は、商品の材料の調達から製造までの距離を短くして、運送コストを抑えることが優先させていたが、コンテナによる輸送が誕生してからは世界のどこでも安価で正確な輸送が可能になり、流通システムは大きく変化した。東京の街にも、世界中の運送会社のロゴが描かれたコンテナが日々行き来し、現代の流通を支えている。
 コンテナによる流通は合理的である。輸送元でコンテナに物資を詰め込み、封をする。木材、中古家電、小麦粉、鉄くず。コンテナは識別番号のついた規格サイズの箱として扱われ、中身の差異による手間を省き、スムーズに目的地まで運ばれる。 だが、そのコスト優先の合理性には、欠点もある。例えば、放射性物質を仕込んだ爆弾や、違法薬物が積まれたり、不法入国のために人間が潜り込むこともあるだろう(もちろん、それらのリスクは港で検査されているが)。日本では、ヒアリという危険な外来生物がコンテナによって運び込まれるという問題が話題になった。コンテナの合理性はグローバリゼーションに多大な恩恵を与えたが、国家、地域間の防衛網を素通りしてしまうリスクも孕む。コンテナは、中身の見えないブラックボックスである。当然、撮影している私自身も、そのコンテナに何が入っているかはわからない。撮影によって写るのは、コンテナという現代社会における流通のシンボル。そして、利便性とトレードオフになっている、物流の隠蔽性や不透明さである。

 私がコンテナの撮影を始めたときは、コンテナというものがどのような役割を担っているものなのかすら知らなかった。だが、制作を続けていくと、今まで見えなかったものが見えてくる。同じ場所で一日撮影していれば、何時頃に多くのコンテナが走るのかがわかる。コンテナを撮影した場所を地図に点として書き込んでいけば、それらはやがて線になり、コンテナの経路が可視化できる。
 写真は、絶対的なルールを用いて撮影を続けていくと、相対的に変化していくものが写り込んでくる。私がコンテナの撮影を始めて5年ほどだが、たった数年前の写真でも、撮影当時とは背景が変わり、同じ写真は撮れない場所が生まれている。コンテナを撮っていたはずなのに、変化する都市が勝手に写り込んでくる。これは、撮影のターゲットはコンテナという「物体」だが、実際に写り込んでいるものは、街の中をコンテナが走っている「状況」あるいは「状態」だからである。
 コンテナという箱を撮影し続ける行為により、変容していく都市が写り、それを下支えする、世界を繋ぐ流通の軌跡が写る。「CONTAINERS」の写真群は、ミクロの視点からマクロな都市像を写すのである。